あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない めんまへの手紙(存分にネタばれあります)
一言でいえば泣かせようとしている作品である。
しかし、それは何も悪いことじゃなくて、自然と流れてしまうものだった。
青春。
そのたった2文字がどれだけの意味を持つのか。
青春時代をとうにすぎてだらだらと何年間も過ごしてきた僕にとって、
この問いは人生そのものだ。
つい5年前までいつも一緒だった超平和バスターズは高校1年生になった今では関わりもほとんどなくなっていた。
いつも集まっていた秘密基地にはだれの姿もなく(ぽっぽは行っていた)このままきっとばらばらのまま、めんまの幻想を全員が追って、大人になっていくのだろう。
これが現実に存在する話しであれば、交わらない人生を5人は過ごしていたはずだ。
でも、めんまは現れた。
じんたんの前に。夏のケモノとして。
そして5人は絆を取り戻して、めんまは二度と現れなくなった。
この映画はアニメ12話の話を基にして1年後のじんたんたちが描かれる。
めんまへの思いを手紙にして、その手紙を燃やして、めんまに届けようって話。
アニメのときよりも子供のころの話(かくれんぼでじんたんがめんまの手を引くシーンやめんまがロシアのクォーターだからはぶられていた話)やめんまに対するキャラクターそれぞれの思いが細かく表現されていた。それが重なって最終回のあのシーンが出てきた時には、もう涙を流すことを我慢することはやめてしまった。
5人それぞれがめんまに対して申し訳ない気持ちを抱いていた。
めんまを殺したのは自分自身だ、とそう嘆く人もいた。
めんまがじんたんにしか見えないことを悔しく思う人もいただろう。
でも、めんまはまったくそんなこと思ってなくて昔から変わらずにみんなことを思っていた。
じんたんの言葉にこんな言葉があった。
「それでもめんまはちゃんと選んだんだよな」
めんまはじんたんにしか見えない。
めんまはじんたんとしか話ができない。
めんまはみんなとずっと一緒にいたかった。みんなとお話したかった。
消えたくなんてなかった。
でも、ちゃんと話をするためにここで消えて、生まれ変わらなきゃいけないって。
めんまは選んだ。
めんまが選んだのに、他の5人が、これからも生きていく5人が、選ぶことを恐れて、逃げているのはどうしたってできない。
映画を見ているすべての人も思ったはずだ。
アニメの最初
突然じんたんの目の前にめんまが現れる。
じんたんのトラウマが具現化したような描写で。
なんでじんたんの前に現れて、じんたんにしか見えないのか。
それを考えた時点で、僕らはあの花の世界に引き込まれていたのだと思う。
5年前から変わらないのはめんまだけだったアニメの前半。
5年前からだれも変わっていなかったことを知るアニメの後半。
変わったのはやっぱり「めんまがいなくなった」ということだけ。
みんなめんまが大好きだ。
めんまが最後の力を振り絞ってみんなに手紙を書く場面。
「かくれんぼだよ」って。
今まで見えていたのに、じんたんにも見えなくなって、めんまが言った言葉。
1人1人にたった一言だけど紙に書いて気持ちを伝えるめんま。
めんまは見つかりたかった。見つけてほしかった。
そして見つかって。
めんまは二度といなくなった。
めんまは青春のようにその瞬間だけにいた。
一緒に成長することも、これから苦楽を共にすることもできない。
いなくなってしまうことが前提にあった。
じんたんもそれはわかっていた。
わかっていたからこそ、
「このままで良いんじゃねえか」って言葉を言わないようにして、つい言ってしまったんだ。
ばかやろう、じんたん。
めんまだってそう思ってるし、僕らだってそう思ってるんだよ!
めんまがいなくなったあと、女装して精神を落ち着かせていたゆきあつ。じんたんの本音を聞き出そうとしてあんなことになってめんまが死んだと自分を責めていた。
ゆきあつと一緒にあの騒動を始めたあなる。高校で見た目を変えてもやっぱりあなるはあなるで、じんたんが大好きでめんまには叶わないって思ってる。
ゆきあつが好きなつるこは、落ち着いて状況を見ていながら何もできなかった。卑屈になってめんまを羨ましく思っていた。
小さかったぽっぽはじんたんのことを本気でかっこいいと思っていて、そのじんたんの一言でめんまが死んでしまう事件があって、怖くて動けなかったことを悔やんでいる。
めんまが大好きで、お嫁さんにしたいの意味で大好きなじんたんは、高校に行かなくなり、何もしなくなって、いつまでもあの夏の日を引きずっている。
そんな5人は何も変わっていなくて、それでもめんまのいない5年間を過ごして、少しずつ大人になっていった。
映画の中ではじんたんは髪を切って、高校に行ったり行かなかったりである。
本質的には少し変わっただけ、
めんまがみんなをまた繋ぎ合わせたからと言ってそう簡単に変われない。
でも、変わろうとしている過程が見えた。
それがうまく出ていてとても良かった。
曖昧なことも単純なこともみんな色付いていく。
それはめんまがいたからなんだと思う。
そしてみんながいたからなんだと思う。
最後の30分、いやそれ以上泣き続けていたと思います。
泣く準備をして行ったけど見事に泣きました。
でも、時々ゆきあつが笑わせてくれたから。
あの図書館のシーンはだれもが
「イケメンだが、むかつく…!」と思ったに違いない。
個人的には、あなるがマックで手紙を書いているときに珈琲をこぼして、隣のおばちゃんが「思いつめちゃだめ」って優しく言うシーンが良かった。
あなるらしさが出ていたってとこもそうだけど、
大人が子供に諭すっていうシーンがあの100分に一度だけ入っているってところが好きだなぁって思った。
もういいかい
まだだよ
もういいかい
もういいよ
夏のケモノは僕らの心の中にもいるかもしれない。
それが消えた時、
進んでいたのに気付かなかった毎日に、
ようやく気づけると思う。